エタンプの街は中世の面影が色濃く残るフランスらしい田舎街。ツーリストオフィスへ寄って見どころがたくさんあると知り、歩いて回ってみました。まずはサン・バジル教会と国王の愛妾として権力を手にした2人のエタンプ侯爵夫人の家へ行ってみましょう。
Contents
サン・バジル教会 【 Église Saint-Basile d’Étampes】

ルネッサンス期(1300-1600年)にエタンプ最大の教区教会となり王室の建物の特徴をもつサン・バジル教会。駅から街の中心へ向かい最初に目にしたのがこの教会でした。
■サン・バジル教会が建てられたのがいつだったかははっきり分かっていませんが、1020年にエタンプ城を建造したフランス王ロベール2世(敬虔王)が、コレジアル・ノートルダム・デュ・フォーの支部として建てたのが起源。
■ロベール2世が建造した教会は、エタンプ城同様、今日では何も残っていません。

この日は教会内へは入れませんでした。
現存する サン・バジル教会の最も古い部分は、1842年にエタンプの建築家オーギュスト・マーニュ( Auguste Magne )が修復した西側のポーチ(玄関)同様、12世紀までさかのぼります。

唐草模様が施されたサン・バジル教会の大きな扉
身廊と新しい聖堂は、1497年にサンス(Sens)の大司教によって奉献され、16世紀には追加の通路を建設、南側礼拝堂の増築と(教会堂)内陣を拡大する工事が行われました。

これらの工事は完成しておらず、「Faxit Deus perficiar 1559」(神が完成させるだろう)という言葉を冠したメダイヨンの彫刻が残されています。
教会は100年戦争(1337年-1453年)で大きな損傷を受けて大部分が再建されました。
礼拝堂は、1842年に大規模な修復作業を50年間指揮した司祭アレクシス – ルイ・ビュッフェ神父の後援で19世紀の破壊から救われています。
サンバジル教会を見たら、通りの向かいに建つディアーヌ・ド・ ポワティエの家へ行ってみましょう。
ディアーヌ・ド・ ポワティエ図書館 【 L’Hôtel Diane-de-Poitiers – Bibliothèque 】

■数々の修復にもかかわらず、 三日月形の紋章が飾られたこの邸宅のファサードはほとんど損なわれていません。
■この美しい邸宅にエタンプの第2公爵夫人ディアヌ・ド・ポワティエが住むことはほとんどありませんでした。なぜなら、彼女はロワール川のほとりに城を持つ王アンリ2世に同行することに夢中でしたから…。
サン・バジル教会の向かいに建つ ディアーヌ・ド・ ポワティエ邸現在は図書館になっています。
LOCATION
邸宅はサン・バジル教会のある高台に建ち、サン・クロワ通りと古い庭園、現在のランドウスキー広場を臨むマリオネット通りの間の一区画を占めています。
HISTORY

気軽に訪れることができるディアーヌ・ド・ ポワティエ邸中庭の図書館
“ディアーヌ・ド・ ポワティエ (Diane de Poiters)\”と呼ばれるこの邸宅は、1554年国王アンリ2世の統治下に建てられ、歴代の所有者はすべて街の名士でした。
アンリ2世の年上の愛妾ディアーヌ・ド・ ポワティエは、アンリの父フランソア一世の死後エタンプ侯爵夫人となり、またその美貌で知られています。
1883年、邸宅はケス・デパーニュ(貯蓄銀行)の所有となり、一部を市に払い下げて博物館を設置。1970年、エタンプが建物全体を買い取り、数年後ここに図書館が設置されました。
STYLE & DETAILS

ディアーヌ・ド・ ポワティエ邸中庭右手に建つ建物
ルネッサンス様式の美しい装飾は、著名な彫刻家ジャン・グージョン (Jean Goujon /1510-66) によるもので、古代芸術とローマのルネサンス芸術の両方が取り入れられています。
イオニア式とコリント式の装飾用付柱は古代ギリシャ芸術から、交互のペディメントは、ローマのルネッサンス芸術から着想を得たものです。
これら高品質な装飾は、中庭、特に家の玄関口と果物の花飾りや天使、ライオンで装飾された天窓まで続いています。
正面を見てみよう

調和のとれた印象的なファサード中央には、2本のコリント式柱で支えられた三角形のペディメントを備えるアーチ型の大きなドアがあります。
両側には、特に1階に円形のペディメントと三角形のペディメントが交互に並べられ、美しい彫刻で飾られた窓があります。

上部には、屋根の高さにアーチ型の開口部を持つ2つの天窓。
あちこちに、特にポーチの下に、アンリ2世とディアヌの紋章があり、HとDの文字が絡み合っています。
アーチをくぐって中へ入ってみよう

ディアーヌ・ド・ ポワティエ邸 のアーチから臨むサン・バジル教会
中へ入ると、右側の建物が興味深い小さな中庭があります。
コリント式の柱に囲まれたドアの上には、使徒の上に降下する聖霊を表した浅浮き彫りが施されています。
このドアは礼拝堂への入り口でした。

上には、中央に動物の頭があり、アンリ王とディアヌの二人の愛に支えられた紋章が施された2つのスフィンクス像に囲まれて、果物の花輪で形作られた2つの天窓があります。

年号1554-1888が刻まれたディアーヌ・ド・ ポワティエ邸 の天窓
天窓には1554年の日付が記されていますが、ディアヌ・ド・ポワティエが1553年にエタンプ公爵夫人であったことがわかっており、2つの日付は一致しています。
アンヌ・ド・ピスルーの家【 La Maison d’Anne de Pisseleu 】

エタンプの第2公爵夫人ディアヌ・ド・ポワティエの家をを訪れたら、そこから遠くない所にある第一公爵夫アンヌ・ド・ピスルーの家を見に行きましょう。
■エタンプのツーリストオフィスが入ったこの建物は、19世紀以来「アンヌ・ド・ピスルーの家」というロマンチックな称号を受け継いでいます。
■数々の修復作業により、今でも残っているのはフランソワ1世の胸像が飾られた小さな扉だけ。
HISTORY

この邸宅は、1538年エタンプの税徴収人ジャン・ラムルー(Jean Lamoureux ) により建てられました。
アンヌ・ド・ピスルーは、フランス王フランソワ1世(アンリ2世の父)の愛妾でエタンプ公爵夫人と呼ばれていました。
建物は18世紀から20世紀にかけて大きく修復されています。
1階の2つの窓がふさがれて、フランソア一世と アンヌ・ド・ピスルー ( Anne de Pisseleu )を表す2つのメダルが追加されました。
中庭は、以前は壁と通りを見下ろす門で閉ざされていました。
中庭と庭園の間には、17世紀に再建された小さな棟があり、そこには一般の人が住んでいました。
STYLE & DETAILS

この家の建築様式は文化財の石の使用、多角形の階段塔とレンガの小塔など、地元の建築様式を反映しています。
豊かに装飾されたメインファサードの一階には、円柱の美しい装飾が施されており、ドアは踊る子供たちの浮き彫りと古代の彫像で覆われています。
ツーリストオフィスで街の地図と情報を仕入れたら、広場に面したエタンプ市庁舎と市立美術館を見に行きましよう。広場から商店街を抜けるとコレジアル・ノートルダム・デュ・フォー はすぐです。
ちなみに、アンリ4世が爆破させたエタンプ城のドンジョン【ギネットの塔】について書いた記事はこちら。