Contents
All About Etampes – Tour de Guinette

■パリから電車で小一時間、小さな森の中にそびえ立ち、街を支配するのは今日姿を消したエタンプ城のドンジョン。ある6月の晴れた日に、中世の街並みが残るエタンプの街を散策しました。
■ 新鮮な緑の木立に囲まれたエタンプのドンジョンは 、1862年以来歴史的建造物に指定されています。
エタンプのドンジョン

今日 《 トゥール・ド・ギネット 》 と呼ばれるエタンプのドンジョンは、12世紀前半、ルイ6世とルイ7世の統治下に建てられたもの。
丘の中腹に位置するこのドンジョンは、四つ葉のクローバーの形をした断面が特徴的で、古くは監視塔として、または牢獄として使われていました。
城が数々の戦いの対象となりエタンプの人々を疲弊させるようになると、1589年、住民らは城を破壊するよう国王アンリ4世に許可を求めます。
王はその要求を認め、住民たちは中央の柱の基礎部分に爆発物を置く事を許されました。
そのため《 トゥール・ド・ギネット 》には、当時行われた破壊を裏付ける大きな亀裂が今現在も残っています。
ABOUT: 四つ葉のクローバーの形をしたドンジョン

- パリから48km南南西に位置するエタンプ城はフランスのエソンヌ県エタンプにあるかつての王城。
- 今日では《ギネットの塔》(トゥール・ド・ギネット)と呼ばれるドンジョンだけが残っています。
- 12世紀に建立された王城の主塔は、4枚の葉を持つバラの花、または四つ葉のクローバーのようなとても珍しい形。

かつて、エタンプ城には3つの大きな本館、街の景色を望む美しいギャラリー、城を守るための砲台となるプラットフォームがありました。
傾斜した丘の斜面に建つドンジョンは、特殊な構造を持ち四つ葉の形が塔を非常に頑丈で独特な建造物にしています。



中央には、周囲40トワーズ、高さ20トワーズで、四枚の花びらを持つバラのような形をした大きな塔と地下牢があり、中は切石積みの井戸になっていました。
城の中庭にはかつて、二つ目の井戸がありました。

LOCATION: 谷全体を見渡す絶景ポイント

パリ郊外のエッソンヌ県にあるエタンプ城は、ギネット高原と呼ばれる北西部で街を見下ろす丘に建ち、パリ-オルレアンとシャルトル – サンスの交通軸をコントロールすることが可能。

現在、ギネットの住宅街の端、鉄道とエタンプ駅の上にあるドンジョンは、標高約100 m、全長200 m、高度差25mの急な斜面の先端からルエット(Louette)、シャルエット (Chalouette)、ジュイヌ(Juine) の谷を見下ろすポイントにあります。
>>google mapでエタンプの場所を見る
HISTORY : 語り継がれるギネットの塔の歴史

《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》(1412年 ) からエタンプ城の全体像がどんなものだったかを伺い知ることができます。
12世紀から15世紀のドンジョン: 城に閉じ込められたインゲボルグ王妃
最初の城はフランス国王ロベール2世の依頼により建造されましたが、現存するドンジョンはルイ7世が12世紀(1140年頃)に建造させたものです。
塔の建設が始まったのは、12世紀初頭でロベール2世が建てたエタンプ城の痕跡は現在ほぼ残っていません。
12世紀の終わりに、フランス王フィリップ2世 (Philippe-Auguste) が橋でつながれた正方形の囲いを、その後2つ目の囲いを築きます。

フィリップ2世は、結婚初夜に妻でデンマークのインゲボルグ王妃(Ingeburge)を相手に男性機能を果たすことができず、彼女のことを拒絶。
インゲボルグ王妃を魔女であるとして、1201年から1213年までの12年間ドンジョンに幽閉したのです。
ところがある時、フィリップ2世はデンマーク軍の応援が必要になります。
インゲボルグ王妃を塔から開放すると、ヨーロッパ最強の海軍を持つデンマーク国王である兄の援助を得てフランス軍を勝利に導き、王が亡くなる最期の時まで王妃を正妻として側において暮らしました。
1358年1月16日、イギリス軍が街と城を支配すると、その後すぐにフランス国王シャルル5世(Charles V)が引き継ぎました。
1387年1月28日、ベリー公ジャン一世は城を兄弟のブルゴーニュ公フィリップ二世に贈与。
1412年ごろ、城はベリー公 ジャン一世が作らせた装飾写本《ベリー公のいとも豪華な時祷書》のモデルになります。
1411年、エタンプ城は包囲戦に大苦戦し、街と城はフィリップ2世の長男ブルゴーニュ公ジャン一世に包囲され、ブルゴーニュ公国に併合されました。

16世紀から19世紀のドンジョン: アンリ4世によるエタンプ城の解体
1562年12月から翌年1月2日までの間、城は再びコンデ公ルイ一世王子に占拠されました。
1589年、絶え間ない戦いの標的にされ続けてうんざりした住民たちの要求で、当時フランス国王として絶大な支持を得ていた「良王アンリ」(アンリ4世)は、エタンプ城を解体し、石を使用することを許可しました。
こうして城を爆破した結果ドンジョンだけが残り、現在でも火薬の樽を爆発させた時にできた亀裂を見ることができます。
その後も、ドンジョンは再び包囲され攻城戦に苦しみます。
フランス革命で城の土地は国有財産として売却され、買い手は最後の建物を取り壊すと、ギネットの塔を露天の採石場にしました。
それから復古王政まで放置され、1821年、オルレアン公爵が城から出たものを転売しました。



1859年、市は遊歩道を作るためにドンジョンの遺跡を取得。
それ以来、遺跡は新鮮な緑の木立に囲まれて、1862年から歴史的建造物に指定されています。

補足情報:現在のドンジョン
- 現在、ドンジョン(1130年-1150年)の内部には落石が見られるため、塔の中に入ることはできません 。
- エタンプ市(群)は公共の安全を絶対的必要条件として、落石のリスクに対応するため、石が緩んで落下する原因となるハトと寄生植物の存在について研究を進めています。
ACCESS : 電車に乗ってパリからエタンプへ

- オステルリッツ駅、またはビブリオテーク・フランソアミッテラン駅から急行電車 RERのC線 (ELBA) St-Martin d’Etampes 行きに乗車して終点一つ手前のEtampes駅下車。
- 所要約一時間。
- 電車は一時間に2本しかないため注意が必要。
- ゾーン5の範囲内にあるので定期券NAVIGOを短期でもよいので購入することをお勧めします。
>>C線の時刻表を見る
https://www.horaires-de-trains.fr/horaires_rerc-Paris_Austerlitz-Etampes.html

エタンプ駅へ着いたら街へ出るメインの改札口ではなく、裏側の小さな改札を出るとすぐ上にドンジョンが建っていますよ。
まとめ

■1140年頃に建てられた《 トゥールドギネット 》と呼ばれるエタンプのドンジョンは、四つ葉のクローバーの形をしたレイアウトが特徴的。
■ドンジョンが建つ丘は谷全体を見下ろして街を一望する素晴らしいビューポイント。
■1201年から1213年まで、ドンジョンは美人女王インゲブルグを幽閉する牢獄になる。
■城は多くの戦いの対象になりエタンプの人々を疲弊させた。
■エタンプの住民は、国王アンリ4世に城を破壊する許可を求めた。
■1589年アンリ4世が城を爆破。ドンジョンは予想以上に頑丈だったため解体を免れた。
■現在は歴史的建造物として保護され、緑に囲まれた遊歩道として、また街の人々の憩いの場として親しまれている。