
■1917年のロシア革命に伴ない大きな盛り上がりを見せた芸術の波は、とりわけカジミール・マレーヴィチや マルク・シャガールの名前と結びつきます。
■シャガールは後に人々がアバンギャルド(前衛)芸術と出会うきっかけとなる学校の創立に関わりました。
■やがてシャガールは、芸術運動が抽象画を否定することに違和感を覚えます。
はたしてシャガールは、マレーヴィチのシュプレマティズム(絶対主義、至高主義)を敏感に取り入れたのか、それとも独創的で新しい自分のスタイルを貫いたのでしょうか?
本記事ではそんな疑問に答えつつ、パリ時代、そしてロシア革命時代のシャガールとロシアのアバンギャルド芸術との関係について深掘りします。
本記事は、こんな人におすすめです:
✔シャガールの絵画が好きで、シャガールの生い立ちや人生に興味がある
✔シャガールが生きたロシア革命時代の芸術にも興味がある
シャガールの初期の代表作と一緒に解説するので、専門的なことに興味がなくても大丈夫です。
Contents
愛の画家シャガールとロシア革命
結論から言うと、シャガールは1914年以前にキュビズムの要素を取り入れました。
シャガール自身は抽象画を実践したかったのですが、あえて幾何学的な構成を試みます。
しかし、詩的で幻想的な写実表現が自らのイマジネーションとインスピレーションに最も一致していると感じ、その試みを断念しました。
それでは詳しく見ていきましょう。
シャガールの生い立ちとパリ時代

✔1887〜1915年
シャガールは、9人兄妹の長男として1887年にヴィテプスク郊外で生まれました。彼は貧しいユダヤ人家庭で育ち、読み書きもできませんでした。
シャガールはデッサンのレッスンを受けた後、サンクトペテルブルクの美術学校に入学。1908年から1910年までエリザヴェタ・ズバントセバ (Elizaveta Zvantseva)が設立した美術学校でレオン・バクストのアトリエに通いつめます。
※Vitebsk ヴィテプスク : ベラルーシの都市。ロシアおよびラトビアとの国境近く。
※レオン・バクスト : ユダヤ人装飾芸術デザイナー、ロシアバレエ団の舞台衣装やファッションデザイナーとして活躍。
1910年1月、バクストがロシアバレー団の装飾芸術デザイナーとしてパリへ行き歌劇を上演するのをきっかけに、シャガールは奨学金で彼についてパリへ渡りました。
そしてモンパルナス近くの芸術都市「ラ・リュシュ」に居を構えると、アメディオ・モディリアーニからパブロ・ピカソまで、あらゆる前衛芸術家たちと交流しました。
■La Ruche(ラ・リュシュ) : 2 Passage de Dantzig, 75015 Paris
自己主張するシャガールの自画像

アムステルダム市立美術館所蔵
✔1917〜1918年
シャガールが初期に描いた自画像の多くは、画家を天職とするユダヤ人にとって必要な自己肯定プロセスの産物でした。
シャガールがフランスで最初の滞在中に制作した『7本指の自画像』は、エッフェル塔が見える窓のあるアトリエがパリの近代的な暮らしを現し、7枝のロウソク台のような7本指を持つシャガールは、 ヴィテプスクの動物や牧歌的な風景を描きながら頭の中でぼんやりと母国のことを考えています。
1914年6月、シャガールはベルリンで雑誌Der Sturmの展覧会を開催し、そのついでに故郷ヴィテプスクまで足をのばします。
彼は、この時ヴィテプスクに住む裕福な宝石商の娘、ベラ・ロゼンフェルドとの結婚を考えていました。
まだ10代でとても若かったベラは、シャガールと恋に落ちます。
そして始まった突然の戦争。
1915年7月25日に結婚した後、2人はフランスに戻る事ができなくなりました。
ペトログラード時代のシャガールとボルシェビキ革命
✔1915〜1917年
シャガールはペトログラード (サンクトペテルブルクの1914年から24年までの呼称) の陸軍事務所に徴用されます。
シャガールが妻ベラと暮らすペトログラードを革命家が支配し、2人は1917年にロシアを混乱させたボルシェビキ革命の生き証人となりました。
革命によって国内および宗教上のすべての差別を撤廃する法律が可決されると、シャガールに初めてロシア市民であると同時に、ユダヤ人芸術家としての地位が与えられたのです。
シャガールはユダヤ人の日々の生活を描写した自画像を多数描きますが、いずれも彼にとっては不満足な出来でした。
1918年3月、夫婦はヴィテプスクに戻ります。
故郷ヴィテプスクでのシャガールとベラ

モスクワ・トレチャコフ美術館所蔵
シャガールと陶酔の革命時代
✔1918〜1920年
革命はシャガールにとって創造的な陶酔の時代でした。
革命当時のシャガールは、頻繁にベラと自分の姿を大きなキャンバスに描きました。
カップルが、自由に軽やかにヴィテプスクの上空を浮遊する様子から、シャガールの内なる解放を読み取ることができます。


パリ・ポンピドゥーセンター所蔵
雲に向かって自由に空を飛ぶシャガールと妻のベラを描いた「街の上」(1918)、「散歩」(1917-18)や「ワイングラスを持つ二重の肖像画」(1917)は、陶酔のひと時が息づく幸せな夫婦の賛歌でした。
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